・・・その8


最後に、

私がこのような物を書く気になったのは、
父親が商売の帳面を残したように、また、義母が日記を残したように、
私も死ぬまでになにかを残したいと思ったのがきっかけである。

しかし、とかくサラリーマンは、会社以外で殆ど物を書く機会がなく、
日記や書き物などを自宅でしなければ、
家の物には何も残すことはできないのである。

そこで、「私が後生に何かを残せる機会は今しかない」と思い立ち、
私が生きてきた過程を書くことにしたのである。
ただ、このような状態になってしまった今では、父親や義母のように、
自筆で残すことができないのは残念であるが、
子供がこれを読んだときに、
「親父はこんな生き方をしてきたのか」と思ってくれたらそれでいいし、
また、人様が読んだら、「こんな生き方をしてはいけない。」
と反省してくれたらそれでいいと思う。

さて、人にはそれぞれの運命というものがあり、
私がこのような病気になったのも、一つの運命だったかもしれない。

というのは、私は昔から注意力が欠けることがあり、
腕を折ったり、自転車で坂道を下りてくる途中、
側溝に落ちて顎を切ったり、鉄棒で大車輪をしているとき、
手が滑って背中からから落ちたり、バイクでカーブを曲がりきれずに、
側壁に激突し手足の皿を折ったりまど、数知れないバカなことをしてきた。
よって、今回のこの病気も、若さを過信して体をいたわらなかったことによるものと考えられ、
喫煙、暴飲、粗食は、こうなる運命につながっていたのではないかと思う。

しかし、その運命も悪いことばかりだけではなく、良いこともあった。
それは、私事ではないと言われるかもしれないが、息子が就職したことだ。
私は、もし、息子が就職できなかったときには、
私が公務員を退職して税理士でも開業したら、
その事務員として使おうと思っていた。

ところが、「採用」と言う意外な結果に、我々は諸手をあげて喜んだが、
「いつ辞めさせられるか」という不安も常につきまとっていた。
しかし、多少の波風はあったらしいが、
2年半たった今もこうして働いていられるのは、
会社が広告を出したタイミングと会社の温情以外の何者でもないと思われる。

私は、息子に、「働けば金が入り、その金で衣食住関係などなんでも買うことができる」
ことを教えてくれた会社と、今後も息子の心の拠り所となるであろう
宗教関係者に対し感謝すると共に、今後の指導もお願い申し上げたい。

また、もう一つの運命に、犬とも出会いがある。
初めての出会いは、宿舎に住んでいたときであったが、
私が病気になって転居したために、そのストレスで死んでしまった。
その後、犬のことで我々は話をしたが、妻と息子の要望もあり、
子犬を飼って育てることにした。
しかし、「妻に余分な負担がかかるのでは」という私の不安とは裏腹に、
多少の費用と暇はかかるものの、
私の介護で出掛けることも制限されている妻にとっては、
良き話し相手であり良き遊び相手となっており、
今となっては、飼ってよかったと思っている。

終わりに、人生の内で一番華やかな年代を迎え、
いざこれからと言うときにALSと言う病気にかかり、
自分ではなにもすることができない、いわゆる、
寝たきりの状態になってしまった今、
これを素直に受け止めなければならないことは非常に残念である。

また、蚊やハエが止まっても、痛くても痒くてもどうすることもできない現実は、
まるで、「生き地獄」でも見ているような毎日で、
平凡な人生を送りたかったわたしとしては、
このような形で人生の幕を閉じることになってしまうとは、
なんと波乱に満ちた人生を送ってきたことだろうと思う。

ところで、私の母親は今のところ健在であり、
私が、今してあげられることと言えば、母親よりせめて
一日でも長く生きていることが親孝行と考えるが、
妻の今の苦労を考えれば、一日も早く私の介護から解放してあげたいと思っている。

なぜなら、妻は90年の自律神経障害を始め、
腰痛、高血圧症などに悩まされており、いつかいごできなくなるか心配で、
子供も頼りにならないため、私より一日でも長く健在でいてくれるよう祈るばかりである。

しかし、妻やお世話になっている方々には申し訳ないが、
「何もできない、何も生まない人間が、何のために生きているのだろう」とか、
「他人の人生を邪魔してまでして、何の生きる価値があるのだろうか」と思う。
そして、私は毎晩寝る前に神に懇願している。
「どうか、こんな中途半端な生かし方は止めて、治すか殺すかどちらかを選択して下さい」と。



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