・・・その5


5、生い立ち  

1951年10月29日
私は、浜松市上島町に生まれ、四女、二男の6番目として育った。

外見からは、どこにでもいる普通の男の子だったが、
音楽関係だけは、幼い頃から素晴らしい感性を発揮し、
幼稚園や小学校の時の発表会などでは、
常に一番初めに役が決まったものだった。
そして、小学校の高学年の時には、歌手になる淡い夢を抱いたりした。

やがて、中学になってもその力は十分発揮されていたが、
2年のあるとき、音楽の先生から「楽器、なにか習ってる?」と聞かれ、
「ギターとオルガン」と答えた。
確かに、ギターは持っていたし、オルガンも四女が幼稚園に勤めていた為に家にあったが、
両方ともに教本から独学で行っていたためにあまり進歩せず、
どうすればよいか困っていたし、私もやる気を失っていたので、それまでとなってしまったが、
今思えば、あのとき、「なにも習っていないから、なにか教えて下さい」
の一言が言えれば、わたしの人生も少し変わっていたかもしれない。

また、中学生になるとクラブ活動があって、私は何気なくバレーボール部に入ったが、
1年の1学期の中間テストより、次のテストの結果が100番くらい落ち、
そして、体力的にも自身がなかったため、無理を言って止めさせてもらった。
以来、運動部へはいることはなかったが、持ち前の感性で、
何をやらせても人並み以上にこなしていた。

やがて、進学を控えた3年生となったが、なんの目的もなく、
ただ成績だけで進学先を選んでしまった。
しかし、中学時代の思い出も全てが悪い思い出ではなく、
あれほど口の重かった私に、なんでも話せる親友が2人出来たことであった。
現在は、私が静岡に住むことになってしまった為、縁遠くなったが、
お互いの結婚式までは多少交流が続いていた。

そして、高校生活が始まったが、相変わらずの口の重さは、
とうとう3年間友だちが出来ずに終わってしまった。
また、勉強についても、3年の一学期までは進学するつもりでいたが、
家に金があるわけでなく、大学へ行く目的なども何らはっきりしたものがなかったため、
父親から「公務員試験があるから、試しに受けてみろ」の言葉に、
とりあえず受けてみることとした。試験は夏休み明けだったが、
夏休み中に、私は友人と2人でバイクツーリングをしていて交通事故を起こし、
松葉杖をついて試験を受けに行った。結果、我が校から8人受けて2人合格したが、
幸運にも、私はこの中に入ることが出来たため、それ以来、私は勉強するのを止めてしまった。
そして、その公務員試験の合格発表も12月だったために、
就職活動も一切しないで終わってしまった。
今考えると、私の学生時代は成績は常にクラスで上位にはいたが、
社会にでてからの一般常識の取得に努めていたに過ぎず、
職業などに影響を及ぼすことも全くなく、且つ、楽しいものでもなかった。
こうして、1970年の春を迎えた。



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