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鍼灸の古典「難経」のお勉強コーナー
~参考文献~
「難経入門」遠藤了一著 オリエント出版社 「難経ハンドブック」池田政一著 日本の医道社
「難経の研究」木間祥白著 日本の医道社 「難経本義」山下詢訓 名著出版
「わかりやすい難経の臨床解説」杉山勲著 緑書房 「ハイブリッド難経」割石務文著 六然社
「難経解説」東洋学術出版  「意釈八十一難経/小曽戸丈夫+浜田善利 共著」築地書館
「経絡治療 難経を学ぶ」名越礼子 経絡治療学会 「難経真義」池田政一著 六然社
図説 難経~易経と難経 西岡由記著 宝栄出版 「難経鉄鑑」広岡蘇仙著・伴尚志訳 たにぐち書店


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  脈学~脈象と病証が、一致する場合と反する場合

十七難曰、経言、病或有死、或有不治自愈、或連年月不已。
其死生存亡、可切脈而之耶。
然、可尽知也。診病若不欲閉目見人者、脈当得肝脈、強急而長。
而反得肺脉、浮短而者死也。
病若開目而渇、心下牢者、脈当得緊実而数。
反得沈而微者死也。
病若吐血復血者、脈当沈細。
而反浮大而牢者死也。
病若譫言妄語、身当有熱、脈当洪大。
而反手足厥逆、脈沈細而微者死也。
病若大腹而洩者、脈当微細而。
反緊大而滑者死也。



 17難に曰く、経に言う、「病みて、或いは死することあり。或いは治せずしても自ずから癒え、或いは年月を連ねても已えざることあり。」と。その死生存亡は脈を切して之をしるべきや。
然り、尽く知るべきなり。病を診て、若し目を閉じて人をみることを欲せざる者は、脈はまさに肝脈の弦急にして長なるを得べし。しかるに反って肺脈の浮短にしてなるを得る者は死するなり。
病みて、若し目を開きて渇し、心下が牢き者は、脈は当に緊実にして数なるを得べし。しかるに反って沈にして微なるを得る者は死するなり。
病みて、若し血を吐き復たじつ血する者は脈は当に沈細なるべし。しかるに反って浮大にして牢なる者は死するなり。
病みて、若し譫言妄語し、身に当に熱あるべきは、脈は当に洪大なるべし。しかるに反って手足が厥冷し、脈の沈細にして微なる者は死するなり。
病みて、若し大腹泄する者は、脈は当に微細にしてなるべし。しかるに反って緊大にして滑なる者はしするなり。


(訳)
/十七難
 昔の医書にはこう書いてあるけど・・・
「病気になって死ぬこともある。または、治療をしなくても自然に治ってしまうこともある。あるいは、長い年月が経っても治らないこともある。」
こういう死ぬか生きるか、治るか治らないかを、脉を診ることでわかるんですかね?

/
 たとえばね、もし、病人が目を閉じて人を見たがらないときは、脈はまさに肝の脈を打っているんだよ。そう、弦脈だね、急で長い脈象なんだ。
それに反して、もし、肺の脈、つまり浮・短・の脈象をしていたら死んでしまうよ。
肝木が肺金に剋されちゃうということなんだ。

病人が目を開けて、口が渇いていて、心下部が堅いときは、まさに、緊で実して、数の脈を表しているんだよ。これは心の脈だね。
それに反して、沈で・微、つまり腎の脈の時は死ぬ。
心火が腎水に剋されているんだな。

病人が血を吐いて、鼻血が出るときは、脈は当然、肺の脈で沈で細なんだ。
それなのに、反して、心の脈で浮で大、そして牢というのは、やっぱり死んでしまう。
これは、肺金が心火に剋されているからだよ。

病人がうわごとやたわごとを言うときは、体に熱があって、脈象は洪で大、つまり心の脈なんだ。
その反対に、手足が冷えていて、脈が沈で細・微、つまり腎の脈っていうのは死ぬんだよ。
それは、心火は腎水に剋されているからなんだよ。

病人が腹が大きくふくれて、大便のお漏らしをするようなときは、脈象は、微・細での脾の脈象をしている。
しかしそれに反して、緊・大・滑という肝の脈を呈する時は死ぬんだ。
つまり、脾土は肝木に剋されているってことだよ。

わかったかな?




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